凱旋橋跡
「鋳物の街」として知られる川口市ですが、明治時代の日露戦争(1904~1905)を契機に砲弾や機械部品などの製造が盛んになり、鋳物業が飛躍的に発展するきっかけとなったと言われています。
この凱旋橋跡は、江戸時代に日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、「沿線とっておき情報」でも紹介しています錫杖寺前に当時流れていた、錫杖寺杁(いり)用水に架けられた石造アーチ型橋の遺跡です。
凱旋橋は、日露戦争終結翌年の1906年(明治39年)1月に竣工し、同年5月に挙行された川口町(現:川口市)出身兵士の凱旋パレードの通過点として使用されました。
現在は杁用水が埋め立てられ、凱旋橋も石柱を残すのみとなっていますが、当時凱旋橋の袂に建立された凱旋橋之碑(現在は川口神社境内に移設)とともに、貴重な歴史資産として川口市の文化財に指定されています。
凱旋橋跡
住所:〒332-0012 埼玉県川口市本町2-22-18他3筆 錫杖寺前
凱旋橋之碑
住所:〒332-0014 埼玉県川口市金山町6-15 川口神社境内