見沼通船堀は、パナマ運河より183年も前の享保16年(1731)に開通した木造の閘門(こうもん)式運河です。
見沼通船堀は、見沼代用水西縁と東縁が最も距離が近づく八丁堤の北側に造られました。両用水の中央を流れる芝川と代用水は3mの水位の差があったので、それぞれ2箇所の関を設け、水位の調節を行い船を運航しました。
この通船堀の開通により、水運の範囲が広がり、荒川、隅田川を通りこの周辺の村々と江戸が結ばれました。江戸へは、見沼周辺で取れた農作物や、薪、柿渋、味噌、醤油などを運び、江戸からは肥料や、油、日用品などが村々にもたらされました。
しかし、時代の流れの中で、輸送方法は水上交通から陸上交通へと移り、関東大震災以降、通船堀を使うことはなかったと言われています。芝川の船の運航は行われていましたが、昭和6年、通船許可の終了とともに、約200年続いた見沼通船は終わりを告げました。
現在、通船堀の整備が終わり、夏には復原された閘門関を使って開閉実演が行われています。
見沼通船堀は、見沼代用水西縁と東縁が最も距離が近づく八丁堤の北側に造られました。両用水の中央を流れる芝川と代用水は3mの水位の差があったので、それぞれ2箇所の関を設け、水位の調節を行い船を運航しました。
この通船堀の開通により、水運の範囲が広がり、荒川、隅田川を通りこの周辺の村々と江戸が結ばれました。江戸へは、見沼周辺で取れた農作物や、薪、柿渋、味噌、醤油などを運び、江戸からは肥料や、油、日用品などが村々にもたらされました。
しかし、時代の流れの中で、輸送方法は水上交通から陸上交通へと移り、関東大震災以降、通船堀を使うことはなかったと言われています。芝川の船の運航は行われていましたが、昭和6年、通船許可の終了とともに、約200年続いた見沼通船は終わりを告げました。
現在、通船堀の整備が終わり、夏には復原された閘門関を使って開閉実演が行われています。
住所 | 〒336-0923 埼玉県さいたま市緑区大間木123 |
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電話番号 | 048-829-1723(文化財保護課) |
ホームページ | http://www.stib.jp/info/data/tsusenbori.html |